明智光秀はなぜ麒麟を呼び寄せることができなかった?

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明智光秀のクーデター「本能寺の変」は謎だらけ!

大河ドラマ「麒麟がくる」の放映が無事終了
しました。

ウィキペディアによると、
麒麟は中国神話に現れる伝説上の動物に一種。
泰平の世に現れる動物とされています。

戦乱の世にあって、民衆の誰もが平和を築く
人物の出現を待った時代。

「麒麟がくる」はドラマにふさわしいタイトル
ですよね。

明智光秀は本能寺の変をおこしました。
主人である織田信長を自害に追い込んだ人物です。

反逆者のイメージを持つ武将がどのように
描かれたのか。
興味深いドラマでした。

戦国時代は天下をねらう群雄が割拠した時代。

なかでも信長、秀吉、家康の3人のいずれか
を主人公にしたドラマなら視聴者の間でも
話題になりやすいですね。

この3人の性格を表す歌が、
あの有名なホトトギス・シリーズです。

織田信長は
「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」

豊臣秀吉は
「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」

徳川家康は
「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」

この歌は、江戸時代の平戸藩主だった松浦静山
の随筆「甲子夜話」で紹介されています。
九州平戸に伝わる詠み人知らずの歌だそうです。

意外にも、
明智光秀の性格を表した歌もあるそうです。

「鳴かぬなら わたしが鳴こう ホトトギス」
「鳴かぬなら 放してしまえ ホトトギス」

この歌では、光秀の自己犠牲の心と優しさが
表現されています。

そんな性格の持ち主が、なぜ主君に反逆した
のでしょうか。

実に謎だらけの事件で、その後の歴史に影響
を及ぼしたクーデターですね。

クーデターには成功しました。
残念ながら、11日目には山崎の戦いで秀吉軍
に敗れてしまいます。

残念ながら「一発屋」になってしまいました。

明智光秀のような一発屋で終わらないために

信長はなぜ明智光秀を重用したのでしょう。

信長は既存の体制に挑み、従来の価値観を
否定するワンマン社長です。

無理難題を難なくこなす従順な秀吉タイプや、
勇猛果敢な武将タイプばかりでは、天下統一は
実現できないと考えたのかも知れません。

そんな中、光秀は冷静な知識人で和歌もたしなむ
教養人でもあったようです。

幕府や朝廷とのコミュニケーションがとれる光秀は、
信長にとって必要な人材だったのでしょうね。

上司からみれば、外部との人脈を多く持つ
部下は貴重です。

そのチャンネルを大いに利用しようと考えても
不思議ではありません。

光秀も誠心誠意仕えたのではないでしょうか。

とはいえ、人使いの荒い信長の下で働いたのです。
ストレスがたまることが多かったに違いありません。

現代のブラック企業で働いているようなものです。

他の重臣たちの精神的疲労も、
同様にたいへんなものだったでしょうね。

ところが、光秀は他の重臣たちとは仲間意識
を共有できなかったのでは、と考えてしまいます。

信長を討った後、
有力な支援者が現れなかったのですから・・・・・

現代のビジネスパーソンにも大いに参考になりますね。

社外での人脈づくりも結構ですが、
社内でのコミュニケーションも大事ですよね。

困った時には仲間が助けてくれることだって
ありますから。

組織のトップは部下の心情をくみ取る度量が必要

現代でも、信長のように斬新な発想で
突き進んでいくタイプのリーダーもいます。

時には従来の価値観を否定することだってあります。

そんなリーダーの下では、
部下たちはたいへんな苦労を強いられます。

対照的に、徳川家康は人の気持ちを理解できた
のでしょう。

若くして人質に出されたりして苦労して成長
した人物だから。

光秀も若い頃、各地を流浪しながらチャンスを
つかんだ人です。

小説を含め、戦国時代に関する歴史書では、
明智光秀は高潔な人物として描かれているようです。

その考え方を実践し、家族にも、部下にも強要
していたのかも知れません。

そんな人物が、強烈な個性の持ち主の上司に
仕えたのですから、精神的疲労はかなりの
ものだったに違いありません。

信長から受けるパワハラに耐えながら、
忠実に従ってきた光秀です。

その光秀がついに切れてしまった!

現代の日本では軍事的なクーデターは不可能です。

戦後時代ならではの、究極の選択にならざるを
得なかったのでしょうね。

天才的なリーダーとはいえ、日頃の仲間の
心労をいたわる心は必要です。

常に良質のコミュニケーションを取り続ける
努力を怠った。
結果、仲間の支援もなかったのでしょう。

現代のリーダーにとっても貴重な教えですね。

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